イエスマン
まただいぶ久しぶりの記事になってしまいました。
今回は自分の癖について。
なおしたくてもなおせない
「癖」って、あまり良いときに使われる言葉じゃないですよね。
辞書を引いてもマイナスなニュアンスが含まれているので、
この感覚は間違いではないようです。
僕の考える「癖」は、
- 自覚のあるもの
- ないもの
- 忘れているもの
この3つに大体分けられるのかなと。
1はそれが嫌なら変えればいいし、2は何かのきっかけで認識させられるので、
嫌なら変えようとすればいい。
でも3はけっこう厄介です。
つまり、自覚はあるけどそれを直す気があまりない(=直す必要を感じていない)ので、
ひとたびそれを指摘されるとどうしたらいいのかさっぱりになってしまうんです。
なぜならこれまで対策を考えたことがないからです。
痛いところを突かれた……的な感覚です。
わからないものをわからないと言えない
僕は初めて聞いたことを"なんとなく"理解して、そのままにする癖があります。
表現が難しいんですが、字義通りに受け取るといいますか、
いったん、それをそのままに受け入れてみるということを無意識にやってしまうんですね。
昔から疑問を持つこと、「なんで?」と思うことがあんまり無く、
目の前の情報の塊を暴飲暴食するのが昔からのスタイルでした。
そこに目的は特になくて、活字やディスプレイに映る文字を
"読んでいる"という感覚が好きなんです。最近気づきました。
ランニングが好き、筋トレが好き、などとあまり変わらないのかな?
と勝手に同一視しています。
今日改めて自分はそういう癖があるということを思い知らされました。
パッと聞いて、それに対して「なんで?」とか「ここがわからん」と
はっきり的確に質問する力が壊滅的でして。
ちゃんとまじめに考えろよ!と言われたらそこまでなのかもしれませんが、
しっかり理解しようと頑張っています。
自分の範疇を越えたものを、音声で理解する力がひょっとすると著しく低いのかな?とも思ったりします。英語のリスニングは病気レベルで聞き取れないですし。
わからないものをわからないと言えない、は正確ではなくて、
正しくはいま聞いていることは理解できているのか、理解できていないのか
ここの判断が一瞬でついていないため、要領が悪くその場で解決できないことに繋がっているように思いました。
イメージとしては、ダンボール箱とその中に入っているみかんの存在は認識しているけど、そのダンボール箱に何が書かれていてみかんは甘いのかどうか、こういった本質的なところを理解し判断することができていません。
そこまで一瞬で判断できるようにするのは少し違うかもしれませんが。
最後に
100%興味関心がないと、捉えかたを変えることができないのだとしたら
この先むちゃくちゃ生きにくい気がします。
仮に興味がないんだとしても、一生懸命考えたらその分だけ何かしら答えが出てきて欲しいものです。
ここまでこだわりなく漫然と生きてきたツケですね。
右脳と左脳のバランスがすこぶる悪い僕の脳が、少しでもバランスがよくなることを祈りながら床に着きたいと思います。