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とりあえず書きたいことを。

村上春樹の文体と描写、騎士団長殺しを読んでいて思ったこと

ここ1年か2年ぐらい、村上春樹をよく読んでいる。

小説に限らず、「翻訳教室」や「本当の翻訳の話をしよう」のようなアンソロジー的な本にも手を出している。たまに買うポパイに、Tシャツに関するコラムも書かれておりこれも結構楽しみにしている。たしか少し前のWIREDの雑誌版にも記事があった。ここまでいろいろなものを読んでいると、けっこうなファンといえる気がする。

 

最近は騎士団長殺しを読み始めた。これもいつもと同じような雰囲気、書き方なのだが何か違う空気を感じている。

何が違うのか、と思ったときにたぶん文体が変わったという仮説を持っている。

ここが明らかに違う、と適当な箇所を引用して証明したいのだけれどちょっと面倒なので気分が乗ったら書いてみようと思う。

 

本当に雰囲気というか空気、主人公の語り口が微妙に変わっていると思う。

羊をめぐる冒険の僕と騎士団長殺しの僕は何かが違う。表現力がなさすぎて何も説得力がない。考察もしていない。

 

ただ、この違いを感じたときに思ったことは年を重ねて変化を付けられる奥の深さだ。

彼はもう70歳で、だからといって変化ができないとレッテルを貼りたいわけではないのだけれど、僕の周りの人を見渡してみると変化を付けることは加齢とともに難易度が段違いに高くなる。

たぶん日々の生活と思考に何か変化を付けて、それをアウトプットに止揚しているのだと思うとバケモノだなと。もし何も意識していないのだとすると、それはそれでバケモノ。

こんな適当な読者にも、変化を感じさせるぐらいに滲み出ている変化。まだまだ筆を置いてほしくない人だなとつくづく思う。