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とりあえず書きたいことを。

書き上げることとメタファーの話

最近小説をよく読んでいる。ここ1,2ヶ月の話だ。読んでいるのは主に村上春樹で、派生して外国文学にも手を出し始めた。あと、これは別でブログを書くかもしれないけど、都内の個人書店に行ってみたり、今まで見向きもしなかったリトルプレス的な本や雑誌も買っている。読書好きが本遊びを知り始めるとお金が飛んでいくことがよくわかった。だいたいの趣味はそういうものだ。

 

村上春樹はいま70歳で、年齢の高さにすごく驚いた。本人が若い頃の時代を舞台にした小説が多いからか、勝手に60歳ぐらいだと思っていた(なんなら60歳以下かと)。作品数も多いし、"1980年代"という言葉がよく出てくるのだから少し考えればそんなに若いはずがない。5年後ぐらいにもう執筆しない宣言をされても納得する年齢だ。そう思うと早く読まなくちゃという焦りが出てくるのだけれど、別にいつ読もうが読まなくてはならない総量は変わらないからちょっと落ち着いて読むことにした。

 

創作活動でおそらく一番大変なのは、やりきることだと思う。納期はあってないようなものであるし、自分がいま取り組んでいることは世の中から基本的には求められていない。契約とか結んでいない限りは。そうなると、続ける動機(=やりきること)は全て内に依る。

小説家が書き上げているという事実は質の高さとは全く別軸で、それだけで評価してあげたいぐらいだ。ちょうど一週間前に大学の友人と飲んだときに、彼がやっているバイトが書評を書くというもので、同じことを話した。物語の骨子を決め、一定のレベルで細部にこだわり、表現に工夫を凝らし、結論までもっていく。日本語だから誰でも書けるだろwっていう意識だと絶対に書けない。小説家に対して小さなリスペクトを持てる人間でありたい。

 

"日本語なら誰でも書ける"が、通用しないのがメタファーである。喜怒哀楽をそのまま書いても伝わるのだけれど、それではあまりに味気ない。レポート然とした文の塊が出来上がるだけで、そんなものは読みたくない。逆に小説だと読んでも意味がわからないのかもしれない。

小説を読んでいると、メタファーがそこかしこに散りばめられていることに気づく。昔から気づいていたはずだけれど、こんなに比喩、隠喩を使って構成していたとは意識したことがなかった。これも自分で書いてみようと思うと、なかなかうまくいかない。なかなかどころか、全く書けなくても不思議ではない。一種の訓練が必要なのだと思う。このことに気づき、意識すると小説家リスペクトレベルが上がる。このレベルはいま作った。

例えば主人公の不安な気持ちを、空の色や風の様子、空気感や猫の動作などでそれとなく伝える文章が書けますか?ということ。僕は全く書けないし、将来的にも書ける気がしない。自分の時間を100%つぎ込み(しかも5年間ぐらい)、それでようやくスタートラインに立てるんじゃないかな…。

 

とにかく、30歳で小説書こうと思い立ち半年で書き上げて新人賞を獲るっていうのは稀代の化物。これからも一篇でも多く、文章を読ませてほしいです。